およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、
不幸にならない前に不幸になっている心です。ルキウス・アンナエウス・セネカ
(現在のスペインに当たる場所)に生まれ
第5代ローマ皇帝の家庭教師をしていたとされる
セネカさんの名言。
私も気を抜くと
日に日に気持ちが落ち込みます。
「今私たちが持っていて、
それらで出来ることはなんだ」
強気にまだまだ争って
生きていくと決めているんです。
4月16日道内発令、「緊急事態宣言」
4月16日、
「緊急事態宣言」7都府県対象だったところ
13都道府県に拡大されました。
北海道は先日
「北海道・札幌市緊急共同宣言」というものを
4月12日に発令しており、実質2回目だなという印象。
これは道知事と市長が出していたもので、
今回のものは、総理大臣が発令したものです。
いやーーーとうとうきましたね。
緊急事態宣言。
一度「7都府県」と言われたときは
私の住まいである北海道が抜かれていることが
秒でわかる発表だったので
あれ、入っていない
という肩透かしを食らっていたわけですが。
徐々に感染者の増えていた北海道。
とうとう追加という形を取られました。
そして、
全国民に10万円ずつの支援金が給付されるとか…。
長期戦だなぁとは覚悟を決めていたものの、
毎日起こる国・世界単位の決定や法律やお金の動きに
「振り回される」よりも
「置いていかれている…」という不安が募ります。
私が出来ることなんて
自分のことか、
私の周りにいる大事な人とのことくらい。
この長期戦を乗り切ろうという思いです。
「緊急事態宣言」と「ロックダウン」の違い
さて、ここでは私がずーっと気になっていて
でも調べることを後回しにしていた
「緊急事態宣言」と「ロックダウン」の違いについてです。
ざーーーっとネットで調べた結果
「要請」が出来るのであって
「禁止では無い」ということ。
「要請」なので、それに応じなくても
「罰則が無い」ということ。
ドイツ、イギリス、デンマーク、イングランドなど、
世界各国で発令されている
ロックダウン
規定に違反した場合、
法的処置で「罰金」が課せられます。
ここが大きな違いですね。
・高リスク者150万人に
12週間の外出自粛を個別勧告したり
・全国民に少なくとも3週間自宅待機
(買い出しや在宅では不可能な業務通勤のみ許される)
・必要不可欠ではない商品を扱う店舗や
図書館、レジャー施設、遊び場、ジム等を閉鎖
鉄道の運行を停止した国がありました。
私の場合気になったのは週に数回する「ジョギング」。
「緊急事態宣言」の説明には
「生活維持に必要な場合には外出出来る」
運動をするために外に出ることは許される。
しかし外に出たとき他の人とは2mの距離を置くこと。
やはり運動は適度にしないと
逆に体を壊しかねません。少し安心しました。
とされていますが、どうなることやら…。
こんなときだから!固定費見直しのススメ
冒頭で言ったように
今日本では
「全国民に1人10万円、生活支援金を支給」
という話が出ているらしい。
これが決定されると本当に助かります。
現時点で今まで営業していた
私の仕事先は間違いなく営業停止です。
掛け持ちでお手伝い予定のお店も飲食店。
こちらは見事に「コロナショック」を受け
これからテイクアウトとデリバリーへ移行予定ですが
これも軌道に乗るまでは時間がかかるでしょう。
踏ん張りどころなのです。
今月半分終わりましたが
ここまでのお給料だけでは
来月は間違いなく家計的に赤字です。
貯金を切り崩すことになります。
しかし私の「固定費」
(支払いの決まっているお金)は
比較的安価なのです。
これ本当に一人暮らしの方々にはオススメしたい!!
こればかりは良いのです。本当に心の余裕が違います。
まずはやはり「家賃」つまりは住む場所!
私は現在3万円代の1Rに暮らしております。
これは地域差があると思います。
しかし、探せば安い物件はいくらでもあります。
私は初めて不動産屋さんに行った時
驚愕したんです。
しかも都心を離れれば綺麗な物件もあります。
この「コロナショック」が起きたことをきっかけに
日本の雇用体制や仕事への考え方が
ガラッと変わると思います。
「一生懸命働く」の
「一生懸命」の考え方がガラッと変わると思うのです。
現に多くの企業で取り入れられているテレワーク。
そして在宅勤務。
これが緊急のこととはいえ実現しちゃっているのです。
自己啓発本に長年書かれていた
「会議不要」や「残業不要」
「ラッシュ避けのススメ」が
どんどん実現されています。
これが可能ならばなぜわざわざ
小さな頃から都会を離れて
暮らしていた私には本当にわかりません。
一人暮らしを始める前は私も不安でした。
しかし今はネットで物件も見られる時代です。
落ち着いた頃のお引越しを考えながらの
在宅物件探しなんて、楽しそうじゃないですか?
アンペア数変更電話一本!「電気料金」
私の電気料金は1ヶ月で大体1600円以下です。
家にいる時間帯やお休みの日数で前後しますが
だいたいは1600円から100円プラスマイナスします。
これにはアンペア数が関係しています。
私のアンペア数は15A。
(これも地域によってブレーカーのスイッチで
区別しているみたいです。
ぜひ調べてみてください。
一目でわかるようになっていました。)
これは私の場合、一人暮らし始めのときの
電気屋さんとのやり取りで決まりました。
友人から
「最低20Aは持っといた方がいい。
足りなければそれ以上も考えて。」
とアドバイスを受けていた私。
電気屋さんに
「15Aで大丈夫ですよね?」
と言われ、
「あ、20Aじゃなくて大丈夫ですかね?」
「多分全然足りると思うよ!
足りなければ電話くれればすぐ変えられるし!」
という言葉を信じ、15Aに。
現に問題が起こったことはありませんし、
調べたところ本当に
と書いてありました!
1200W÷100V=12A
例えばテレビと電子レンジでも
(200W+1200W)÷100V=14A
(でもこの計算をすればするほど
やっぱり私は、テレビはいらないな……笑)
家の電球を消費電力の少ないLEDに変える
という努力は多少しています。
なかなか変えられない固定費…
水道代とガス代に関しては
私も頭を悩ませているところです。
これに関しては完全に個人の努力でしか
節約できない気がしています。
(まぁ、家賃も電気代も掘り返せばそうなのですが…)
引っ越しの時点で
ガスが都市ガスか、プロパンなのか
にもよりますし、
光熱費が1万円も前後します。
ということにしていますが
この節約の案があれば教えていただきたいです。
本当に。(笑)よろしくお願いします。
最大のおすすめ!「格安スマホ」への変更
私は数年前に「UQモバイル」へ変更しました。
これが本当に良かった。
長らく大手携帯会社を利用していました。
月に携帯代だけで1万円はかかっていたので
そこに頭を悩ませていたところ
知人に『UQはいいぞ』と勧められ変更。
(この具体的良かったことは
後々詳しく記事に起こしたいと思います)
今ではなんと約4000円で収まっています。
一番高いギガ数のプランでも約7000円。
そして全世界でフリーWi-Fiが飛ぶ時代。
不便はまっっっっったくありません。
本当にこの決定は私にとってよかった。
「長年お世話になっていた」
という理由で私も離れられませんでした。
でも見直してみてください。
月3000円で年間36000円浮くことになります。
今がその一歩かもしれませんよ。
コロナマイナス思考スパイラルから抜けましょう
私も先々本当に不安です。
最初にも言いましたが気を抜くとすぐに不安です(笑)
大切な人がコロナになったらどうしよう
コロナショックが続いて
お金がなくなったらどうしよう
働いていたお店が潰れたら…?
学校は?ご飯は?生活費は?
挙げ始めるとコロナマイナス思考スパイラルです。
でも思い返してください。
今私たちが不安がっている今でも
私たちをどうにか救おうと
国が、偉い人たちが、必死で
無い金かき集めているかもしれません。
どうすれば辻褄が合って
不安にならないような決定ができるか
話し合ってくれているのかもしれません。
ワクチン作ろうとしている人が
食料、必要物資を運ぼうと働いている人が
それを売ろうとレジに立っている人が
店を潰すまいと従業員を守ろうとしている人が
子供を守ろうとしているお父さんお母さんが
頑張ってくれているのです。
およそ惨めなものは、将来のことを不安に思って、
不幸にならない前に不幸になっている心です。
そしてその不安は
的中はするかもしれないけれど
「不安」であって、未来の話です。
準備したり、考えたり、方向転換する時間に
変えることを考えてみてください。
推し殺せるかどうかは
考え方を一つ変えるだけかもしれません。
全てを出し尽くしましたか?
どうか、未来のための準備をひとつ
進めてみてください。
小さな一歩を踏み出すところから始まると
私は思うのです。
名言をくれた人のちょっとした紹介とまめ知識
ルキウス・アンナエウス・セネカさん(紀元前1年頃〜65年)
ローマ帝国の政治家・哲学者・詩人(ばいwiki)
・父親の大セネカ(マルクス・アンナエウス・セネカ)と
区別するため小セネカとも呼ばれている
・セネカ一族は騎士階級というものに属し、地主として裕福だった
★セネカさんは大病を患い、一時期は自殺も考えていた
・しかし数年後少し回復し、療養も兼ねスペインへ
・ローマに帰還したセネカさんはその後
財務官からローマの統治機関の議員となった。
・その後、法務官から執政官補佐へ
・16歳で皇帝に即位したネロの家庭教師をしていたことから
治世初期は政治の補佐も務めた
・しかし共に政治補佐をしていたネロの近衛兵が急死。
これを機に権力が傾いた。
・62年、ローマ帝国から得た財産の全てをネロへ返還し、
今後は研究のために生涯を捧げたい旨をネロに伝えた
・これに対しネロから引き続きアドバイザー的な役割として関与するよう
要請される(しかし政治的には一線を退いた)
・64年、ローマの大火(首都ローマの大火事)の放火犯と
書簡のやり取りをしていたと疑われる
・65年、ネロ退位を企んだ一人がセネカさんを共犯として名指し
★ネロが送り込んだ役人に対し、曖昧な対応を取ったため
自害が言い渡された
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