面白いわよねぇ、世の中って。
「老後がどう」「死はどう」って、
頭の中でこねくりまわす世界よりもはるかに大きくて。
予想外の連続よね。
楽しむのではなくて、面白がることよ。
楽しむというのは客観的でしょう。
中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。樹木希林さん
フジカラーのCMや数々の映画、ドラマに出演
2018年に亡くなられましたが
今でも多くの人たちから愛され
記憶されている理由は
どんなときにも
人生を面白がることを忘れない人だった
ということが大きいのかもしれません。
来月から無職です!どうしましょう!!(笑)
みなさん、人生の困難に陥ったとき
どう考えて乗り越えていますか?
かくいう私はなんと、
来月5月半ばで無職となることが決定しております。
(更新2020/4/13現在)
なんとですよねーー(笑)
これが実際に決まったのは去年ですが
なんとも実感が湧かず……
今年の11月まで勤務したら9年目に突入するという
とても居心地の良い職場だったのですが、
建物の老朽化・耐震問題により
「取り壊し」ということになったそうな。
いやーーーこればかりは
非常に困りますが、仕方がありません。
そこに「コロナウィルス」という新たな敵が発生。
私は高校生のとき某ハンバーガー店にバイトで入り
その後今の職場に勤務だったため
(途中一瞬、某宅配ピザのバイトも挟みましたが)
飲食店でしか働いてこなかったわけです。
しかし、このご時世ですから。
飲食店への再就職。
というのはどうやら難しい。
というよりも
先のことが見え無さすぎて
再就職。
という選択肢さえ一旦消えてしまっています。
はてさて…どうしたものやら…
時給制からの脱却をしたいという気持ち
そんな私の最近の一番の悩みはもちろん
「時給制」という仕組みに身を置き
お給料をいただいて生きてきました。
たくさんの人に出会い、活動し、
その度に自分の人生と照らし合わせては
この悩みに直面していたように思います。
私はこのまま、
自分の時間を切り売りして生きていくのだろうか…
できれば自分の好きなことを
仕事にして生きていたいものです。
少なくとも私は
頭の片隅にずーっとそれがいました。
「確実にお金」
ということから離れる自信が無かったからです。
時給制って…確実ですが、いいことですか?
時給制のメリットとしてはやはり
その時間働くことで
お金がマイナスになることがない。
という安心感です。
カードを退勤で切らなければ
もれなくその時間通りのお金が振り込まれることになります。
しかし、
それ以下が無ければ
それ以上もありません。
さらに
それが自分の本当にやりたい仕事ならばいいですが
そういう人は少なく思います。
この時間、早くすぎてくれないかなぁ
暇なときは誰しも思うことです。
私はあるときこれに対して疑問を持ったのです。
最悪忙しいときはいいんです。
なんとなく充実するんです。
それもそれでどうかと思いますが
やることがあるんですから。
暇なときは本当に地獄です。
そして次にこう思うわけです。
私の1時間は…数百円数千円で換算されている。
それって正しいことでしょうか。
私の時間に、
人の時間に値段がつけられているというのは
今考えると実に不思議なことです。
「八方塞がり中の自分」に言い聞かせること
正直、思いました。
「時給からの卒業」
冒頭にも最近の記事でも書いているように
世界で猛威を振るっている「コロナ」。
どんな企業も大きな打撃を受け
倒産に追い込まれています。
なんなら前さえも見えない状態。
でも取り壊しは決まっている。
毎日ハラハラして生きているのが正直なところです。
なかなかの挑戦であり壁である。
と感じていたのに、
さらなる大きな壁が現れます。
まさに八方塞がり。
少しワクワクしている自分がいます。
この八方塞がり感。
無職は来月に迫っています。
そしてなんと、解決していることはまだありません(笑)
そして、いずれ人は必ず死ぬんです。
楽しむのではなくて、面白がることよ。
楽しむというのは客観的でしょう。
中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、やってけないもの、この世の中。
ならば私は
好きなことをしている中で楽しかったと死ぬことを選びます。
いや、今回の名言の言葉をお借りしたとしたら……
私もそこに早く、早く行こうと思っています。
「時給脱却をしようとしている自分」に言い聞かせること
とはいえ
先の見えなすぎる世の中です。
これで大金持ちならいいですが、
小金すら持っていないような私には
きっとタイミングがあるのだと思います。
面白がるにはそれなりの余裕も必要です。
そして
情報収拾とそれなりの我慢が必要です。
いずれ木になる根を張り巡らせることです。
じっと、長い冬が通り過ぎるのを待つのです。
でもそれが訪れた時
乗り越えたなぁ!!と思えるかは
今をどう過ごしていくかにかかっているのだと思います。
【ちょっと雑感】私の無職は未解決(笑)
本日は
「無職になるぜ」
という報告で終わってしまい
「なんの解決もしてないんだぜ」
ということをただ言っただけになりましたが(笑)
そういう人がこれから本当に溢れてくると思います。
その人たちにも自分のためにも
こういうことも出来ますよ。
ということが見つかったら徐々に
ここで発信できたらと思っています。
どうにか踏ん張りましょうね。
私も踏ん張ります。
名言をくれた人のちょっとした紹介とまめ知識
樹木希林さん(1943〜2018)
日本の女優(ばいwiki)
・警察官だった父と結婚した当初二人の子持ちだった母との間に生まれる
・父は薩摩琵琶奏者だった
・高校時代に演劇部に所属
・戦後初めて文学座が研究生を募集しており試験を受け、
1961年に文学座一期生として付属演劇研究所に入る
★このとき一次の時点で応募が約千人いたという
・「悠木千帆」という名前で女優活動をスタート
★この芸名は「芸能界では“勇気”が必要」として父親が考案した
・1964年に森繁久彌主演の
テレビドラマ『七人の孫』にレギュラー出演し、人気を獲得した。
・1965年に文学座正座員になるが、1966年に退団している
★20代の頃から老人の役を演じ、
出演するドラマ、映画などでは老け役が当たり役だったと言われている
・1977年(当時34歳)テレビ番組内のオークションコーナーに
「売る物がない」という理由で、特に思い入れが無かったという
自身の芸名「悠木千帆」を競売にかけた
★つかこうへいさんから
「200万円で買うから、そんなバカなことはやりなさんな」と
たしなめられて持ち掛けられたこともあったがこれを断った
・このオークションは結局、
2万200円で通りすがりの東京・青山のブティックを経営する
服飾デザイナーの女性が落札し、その落札金はチャリティーとして寄付された
・落札した旧名はこの女性から無償で2004年に女優の山田和葉に譲渡されている
★芸名の売却後、辞書を引いて文字を拾いながら決めることにし、
「樹や木が集まり希(まれ)な林を作る=みんなが集まり何かを生み育てる」
ということを連想し、自ら「樹木希林」に決めた
・夫である内田裕也さんとは一度離婚後、再婚。
しかし別居生活が続いていたという
・1981年内田が無断で離婚届を区役所に提出したが
樹木は離婚を認めず、離婚無効の訴訟を起こし勝訴している
・2013年3月8日の第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞
・このときスピーチで「全身がガンである」ということを告白
・2018年9月15日、東京都の自宅で家族に看取られ死去
★乳がん摘出以来年に一度ハワイで過ごすようになった
夫、内田裕也さんが半年後後を追うように死去
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