前回の記事はこちらから↓↓
私が所属する演劇企画運営団体の
解散が3年前に決定していましたが
コロナの影響を受け
解散公演が延期になったこと、
さらに運営していた
居酒屋の援助をいただいたこと、
様々な事が重なり
「解散宣言の解除」
つまり
「解散しない」
という結論に至りました。
詳しくはこちら↓
それについて思っていたことを
カタカタとしていたわけですが…
思っていたよりも長々と
書いてしまったため(笑)
2つに記事を分けようと思いまして
これで2記事目となります。
今回はこちら
私の今、思っていたり感じていること。
見えない敵、「コロナ」が現れたこと。
さて、前回も書いた通り、
三年前に決定していた「解散」
その節目になるはずだった
「解散公演」の準備が
着々と進んでいたところ
世の中には「新型コロナウィルス」が
出回り始めていました。
日本にも少しずつ入ってきている。
ちょっと気をつけておきなさい。
その程度の印象でした。
北海道は観光地なので
その頃にはもちろん
観光客の方も街にあふれていましたし、
マスクをした人たちの姿も
今の半分以下だったように思います。
しかしあっという間に猛威を振るった
見えない敵は
私たちの生活を一変していきました。
マスクの着用と品薄
アルコール消毒液や
手洗い石鹸までも世の中から消え、
人との接触を避けるよう言われ
娯楽という娯楽を制限されました。
その中で感じ、気づいたことは
「そうか、私は娯楽の真ん中で
娯楽を届けようと生活していたのだな」
「娯楽」というものの真ん中にいる
「真ん中にいる」という表現をしました。
最近思うことは
娯楽は台風に似ていて
巻き込まれた人たちが消費をしている
ということでした。
私も巻き込まれたりしますが、
提供をしようと
つまり台風の目を起こそうということに
少しでも関わっている場合、
その真ん中にいると
中は本当に静かなもんです。
なんというか、
毎日変わらずにいられます。
私はもともと
色々な欲がそんなにありません。
(たまーに爆発したりはします笑)
あれが食べたい
あれも飲みたい
これを買いたい
あそこに行きたい
世の中にある「娯楽」というものたちを
欲さない人間でした。
(唯一映画に行きたいはよく思います)
そんな中でお店のお手伝いのこともあり
都心からそんなに離れていない場所で
暮らしてはいますが、
都心に用事がないのです。
お店に行く以外は(笑)
これはコロナが明らかにしてくれたことでした。
「私の欲」の行き場は困らないのです。
どこを制限されようと
何を制限されようと
普段から家とお店の往復だった
私の生活の何が変わったかといえば
芸術活動をするよりも
大きな問題が起きてしまった。
ということでした。
私の欲は困らなくとも
飲食であるお店の営業があぶない。
ということによる
生活資金に困ったのです。
台風の目ではいられない。
ことに困ったのかもしれません。
そんな中、たくさん助けられたこと。
コロナのおかげで私は無職にもなりました(笑)
元々無職の予定はありましたが
それが早まってしまったのです。
詳しくはこちら↓↓
思ったよりも早まった無職と
コロナによる再就職が難しいとなる中、
「うーーん、どうしたものか。」
となっていたところ
お手伝いに時々入っていた
団体でやっている
お店に拾ってもらえました。
お店がピンチなことに
変わりはなかったので
最初はボランティアとして。
その後お給料をいただけるという約束でした。
本当に私は幸運だったし、
ありがたいなと思います。
自粛期間中はお店を
テイクアウトを主体に切り替え
営業時間も短縮しました。
しかし、それでも
強敵コロナには勝てそうにない。
一週間おきに変わる政府の意向。
感染者が増えるたびに
それを煽ってくるマスコミに振り回されつつ
本当にギリギリを立っていたのかもしれないと
今は思います。
あの頃にやってたことは
もう忘れつつありますが…
そんな中募った
お店への「存続義援金」
たくさんのご支援とお気持ちをいただきました。
私は受け取ったのだと、
それを目と耳にするたび
喜びと同時に
何か、お金とは別の重たい大事なものも
一緒にいただいたことを覚えています。
実際のところはわかりません。
でも少なからず感じた
お金以外のそれに
「存続」とか、「期待」とか、「希望」とか、
そういう名前をつけるのも
なんだかおこがましい気持ちのする
それらに
やはり私たちは、台風の目となるよう、
コロナが去るのか、
はたまた共存するとなった将来の
「未来」のようなものを託されたと
私は勝手に感じていたのです。
そして「解散解除宣言」。
3年前から予定していた「解散」を
やめるという発表がされました。
北海道の「緊急事態宣言」解除が5月25日。
その後の出来事でした。
解除を決定したうちのボスからは
発表の前に話がありました。
正直、
「演劇企画運営団体」
という団体名から
外れるための解散
という解釈でいた私にとって
意外な話だと感じていました。
解散をしたその後も
活動することは決まっていたので
冠を変えない
ということだけが私にとっての
「?」だったのです。
しかし、
私たちを助けてくれたのは
演劇界の人たちであり
そこで知り合った人たちでした。
お店の常連さんたちも
私たちの活動を応援してくれているのでした。
「世の中が落ち着いたから解散。
そんな大マヌケがあるのか。
解散するタイミングは自分で決めたい。」
『?』なんかより大事なもの。
私の「?」なんて
そんなみみっちいものはいいんです。
私が感じていた皆さんから
受け取っていた「何か」には
私の想像も超える何かが含まれているんです。
例えば「希望」だったり
例えば「良心」だったり
例えば「関係」だったり
例えば「期待」だったり
そして更には
私の追いつけない、知らない、
「過去」が含まれているんです。きっと。
私が知らない人たちと
私の知らないメンバーが会って
私の知らない感動があったんです。
そこから脈々と繋がった何かの中に
私が立たされていて
その団体が続くことを選んだことに
しかも!
喜んでくれている人たちがいる。
というこの幸せに
私なんかの「?」が勝てるわけがない!(笑)
そもそも私の所属する団体が
姿形を変えては活動していたこと。
その点を変わらないことにしたんだと
私は思っています。
ふと思ったのです。
個人的な話をすると
消えた挙句に戻った
という経験がある私は
今回、感じたことがなんとなく似ています。
少しだけ中身が変わって
元の位置に戻り直した
という感じ。
前向きな解散です!
と発表していた団体が
コロナのおかげで解散公演が延期になり、
解散できませんでした!!!
というお話。(笑)
どこまでも私たちらしく、
なんともマヌケな話ですが
所属している私でさえ
そのマヌケが愛おしく、
人生で大切にしたい奇跡みたいなもんだよなと
思うのです。
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