【名言】言いたいのは、それひとつだよ。その生き方を人のせいにしちゃダメだ。【矢沢永吉】

名言
steve felbergによるPixabayからの画像
言いたいのは、それひとつだよ。
その生き方を人のせいにしちゃダメだ。
矢沢永吉

本日の名言は言わずと知れた
日本のロックミュージシャン、
矢沢永吉さんからのお言葉。

そうなんです。
結局、自分のことを決めるのは自分自身。
そう思っているからなのか
私は「人に相談」をあまりしません。
と、いうことを自覚していなかったのですが
人から指摘され気づきました(笑)

人ぞれぞれなんでしょう。
でも私はこう思うのです。

「だって、自分で決めなきゃ後悔するし」

あまり「相談」をしない

私はあまり、言葉を発しません。

いや、これは言い過ぎました(笑)
普段は人並みに話すと思いますが

自分の決め事になればなるほど
言葉を発しません。

つまり、「相談」ということをしません。

元々あまり口数の多い方では
なかったように思います。
(まわりがどう思っていたかは
わかりませんが笑)

大事なことほど自分の頭の中で
悶々と考え

わかった!!!

となった瞬間に動きます。

早速ですがこれには
デメリットがあります。

人に心配をかけまくる

ということです(笑)

実際、怒られてしまったことは
なんどもなんどもありまして(笑)

親にも、親友にも、恋人にも、
考え起こせば
大事な人にほど相談をしません。

相談しなかった具体例・一人暮らし

私は割と大きく育って(?)から
一人暮らしを始めました。

大学を出て、さぁ、社会に出るぞ。
みたいな気持ちはサラサラなく。
こういう活動(演劇とかとか)をしながら
それが最終的に職業になることを
実家でぬくぬくと考えていたのでした。

まったく親不孝な子供です。

そしてとうとうある日

「ねぇ、いつ出ていくの?」

実家追い出し宣言を親より受けたのです。
きっかけをくれたのは
今思い出すと両親だったのですね。

 

そこで数秒考えた私はこう言いました。

3年の猶予をください🙇‍♀️

今考えると
お前結構な猶予期間出したな!!!
という気もしますが(笑)
両親も承諾してくれて
私の貯金生活が始まりました。

それから3年。
親が覚えていたかはわかりませんが
だいたい3年が経ったある日。

私は一人で物件を見に行き、
その次の内覧で部屋を決めていました。

 

「3年たちましたので、一人暮らしをはじめます。
今までお世話になりました。」

 

 

当然親は
これから物件を見にいくのだろう
と思っていたのでしょう

「引越し日はここです(一週間後)」

「は、え???」

さすがに面食らっておりました。

本当に、なんとも、親不孝な子供です(笑)
文字に起こすと本当にひどいもんです(笑)

怒られながら私は

でも、出て行け言ったのお前らやん…

という逆ギレを心の中でしたものです。

 

しかし、
ここまで世話になったのだから
ここで世話になるわけにはいかないと
一人で黙々と準備を進めていたのです。

相談をする。という選択肢は
私にはありませんでしたし、
お金の面を助けてもらうという
選択肢もありませんでした。

(しかし、これは後々
妹たちから怒られました。
「おねえのせいで親からの支援資金
なかったんだからね!」と(笑))

そもそも「相談」は背中を押してほしいことが多い

どうして自分はそういう思考回路になるんだろう…
と考えたことがありました。

涙目で親友から

私そんなに頼りないかね??!

 

と言われたときに考えたのですが。

いえ!決してそういう理由ではないんです。
そして、
私も相談をまったくしないというわけではありません。

特に
二つ選べない選択肢があり
どっちがいいのかな?
という相談はすると思います。

 

例えば

ねえ、
このハンバーグとオムライス
どっちも食べたいんだけども
どっちが良いと思う?

というような感じ。

 

すると相手は

・こっちが良いと思うよ
・どっちものってるこれがいいんじゃない?
・じゃあ、こっち私頼むから半分しよう
・いやそれよりこっちのラーメンでしょ

というような提案により解決へ向かいます。

ただ、世の中には
本当はハンバーグが食べたいかも
ということを心の中に秘めていながら
「相談をする」ということをしている人もいるらしい。

女性の服の買い物でよく見られることですね。

これは最近気がついたことですが、
人は心が決まっていても
その後押しをしてほしくて
人に相談していることが多いのです。

私も気持ちはなんとなくわかります(笑)
あまり使わないですが、
食べ物のときはそういうことも考えます。

アウトプットするうちに解決する

言葉に発して問題点を挙げていくうちに
整理がされ、解決していくという方法もあります。

言葉少なめな私にとって
「話していくうちに」は
難しい方法ですが
私がアウトプットとしてよく使うのは
ノートです。

ノートに思っていることをザザザっと
書き出して
それを整理すると
あ、こんなことだったのか
と安心したりします。

頭の中だけで考えるには
私の脳みそは小さすぎるんですかね。
ごちゃごちゃした挙句
悪い方悪い方へと思考が働きます。

「そんなことだったのか」

楽観的になること
人生において本当に大切なことです。
心当たりのある方は
ノートへのアウトプットもオススメですよ。

 

自分が納得できるまで考えることの大切さ

どんな人にも
「大切な決断」というのは
迫られるときが来るものです。

人生の節目節目に
私も立たされた時に
どうしようかな。
と迷ったり分からなくなったことは
本当に多々ありました。

しかし、
常に思うことは
「納得のいかないことには
絶対に首を縦に振らない」
ということ。

決断というものは
自分がしようと思っている時だけに
迫ってくることはそうそうありません。

大体の決断はなぜだか
外からの圧力
環境の変化
年齢を重ねたから。などなど…

自分が知らないうちに
迫っていたりするものです。

私は昔から
「誰々がこうしているから」とか
「誰々がこう言っているから」とか
「一般的にはこうだから」とかを
受け入れる事が出来なかった方です。

だから今もこうして
社会とは違う関わりを持っているわけですが(笑)

そうだとしても
なぜか決めなきゃならない事
しかも!
妥協を迫られる時だってくるんです。

そういうときには
明らかに「こっち」と進むべき道は決まっています。
だとしても、
私は一旦首を動かさず考えます。

 

「その道を行くと決める
ということはどういうこと?」

「その道を行くと決めたことに
後悔がない論理は整っている?」

「それが決まったなら
自分の口からそれを言いなさい。」

そこまでを自分で自問自答し
実行に移します。

納得のいかないことは
首を横に振るか、
それを納得できるところまで
考えて落とし込む
という作業を怠ってはいけません。

それをするには
勉強が必要かもしれないし
情報収拾が必要かもしれないし
誰かとのぶつかり合いが必要かもしれません。

本当に面倒な作業だと思います。
そして
もしかしたら心の傷つく瞬間もあります。

だけど、必要だと思うのです。

これをしない
人に責任を押し付けることになるんです。
自分の中の大切だったものが
簡単にへし折れる可能性があるんです。
そんなカッコ悪いことありません。
それをサボることは楽に見えますが
必ず後々、自分の首を絞めることにも
繋がると思うのです。

ならば時間をかけてもいい。
自分の納得のいくまで考えた方が
いいと私は考えます。

言いたいのは、それひとつだよ。
その生き方を人のせいにしちゃダメだ。

せっかく思考する面倒な生き物に
生まれてきてしまったのです。
来世は思考のない
単調な生き物かもしれないじゃないですか(笑)

ならばこの面倒な人生を
自分の考えで生き抜いてみる。
それが最強にロックでかっこいい生き方だと
私は思います。

名言をくれた人のちょっとした紹介とまめ知識

矢沢永吉さん(1949年〜)

日本のロックミュージシャン、アーティスト(ばいwiki

・広島県出身

・生みの母は矢沢さんが3歳のとき夫と息子を捨て蒸発している

・広島の被爆していた父とは小2で死別している

・幼少期は親戚中をたらい回しにされ

その後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごしたという

・近所の裕福な家の子供に

「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」

とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した

★このような経験が積み重なり「BIGになる」

という思いが芽生えたと語っている

・中学時代に聞いたビートルズとザ・ベンチャーズに影響を受ける

・高校卒業と同時にトランク・ギター・バイトで貯めた5万円を持って

夜行列車で上京

★東京駅で降りる予定が、長時間の移動で尻が痛くなったのと、

ザ・ビートルズの出身であるリヴァプールと横浜が

同じ港町だったことから横浜駅で途中下車

・横浜中華街などで働きながらバンド活動を開始

・この頃から自作曲のデモテープをレコード会社に持って行っていたが

「売れない」と断られている

・矢沢が張り紙チラシで募集をかけ、

ジョニー大倉・内海利勝・ユウ岡崎らとロックバンドキャロルを結成

・当時は歌謡曲とフォークが中心で、

ロックバンドが商業的に受け入られなかった音楽界に

突如として現れ人気を博した。

★1975年、日比谷野外音楽堂で行われた解散ライブでは

演出のために使用した爆竹が雨で湿って、

その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、

メンバーは楽器を失うだけではなく、

多くの借金を抱えるというアクシデントの中キャロルは解散した

・解散の5ヶ月後、ソロデビュー

・デビュー当初、キャロルを否定するような曲構成に

「キャロルの矢沢」を求めていたファンは離れたが

1年後にはシンガーの矢沢の地位を確立していった

・1977年には日本のロック・ソロアーティストとしては

初の日本武道館単独公演を行った

・翌年、CMソング「時間よ止まれ」が大ヒットする

・2007年12月16日には、

前人未到の日本武道館100回公演を達成。最初の武道館公演と同じ服装で登場した。

・2008年、デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきたが

37年目で初めてステージに立たないことを決意。

“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表。

・同年に自らのインディーズレーベルを立ち上げる。

・2018年、満69歳(「ロック」)を迎えるに当たり

全国5都市のドームツアーをスタート

★そして、2020年、

3月26日、4月21日から予定していたライブツアーの全公演を中止すると発表。

これは前年2019年より猛威を振るっている新型コロナウイルスによる

感染拡大の状況を受け、来場者の健康・安全を最優先と判断し、

クラスターを発生させないための決定であった

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