人間は寝ることによって
かなりの病が治る。
私は「睡眠力」によって
傷とか病気をひそかに治し
今日まで「無病」である。
私は「睡眠力」は「幸福力」
ではないか、と思っている。水木しげる
「なまけ者になりなさい」という名言も
残している水木しげるさん。
頑張りすぎては頭や体の効率が悪い。
それを水木さんは知っていたのだと思います。
寝不足は、寝るしかない!!!
これはモーニング娘。’14の
「TIKI BUN」という曲の一節でも言われていること。
(前のブログでハロプロ好きを言ってから
オススメをどんどんする私。)
自分を戒めるためにもこの記事を書こうと思ったわけです。
眠れないという悩みをほとんど持ったことのない私は
ほっとかれると12時間は余裕で寝てしまいます。
(これはこれでひどい笑)
午前3時~4時半、下手すると5時に布団に入り
9時前に起きて仕事に行く(つまり6時間~4時間睡眠)
ということが連続し、
さすがに頭がうまく回らなくなってきました。
割と普通に寝ているようにも思いますが、
寝始める時間がきっとよろしくないんでしょうね。
このよろしくない状態を記録すると共に
早寝早起きの何がいいのか
調べて自分のためにもまとめようと思います。
寝不足が立て続くと起こること
さて、本日で寝不足生活4日目を突入しました。
昨日で多分ピークを迎えた私は
このブログを書いている間に寝てしまったので(笑)
今日は少し体調が戻ってまいりました。
さらに物事への集中力がなくなり
立ち止まるとあくびが止まらなくなります。
3日目なんだなと
今までの経験上思います
割と乗り切れたりするんですよね。
「深夜テンション」はどうして起こる?
そもそも、
「深夜テンション」とは?
私はめちゃくちゃあります(笑)
・オールの後そのままバイトへ直行
・オールの後そのまま学校の授業(爆睡)
・テスト前の一夜漬け
・公演直前の小道具、大道具作りが夜中まで
・その後そのまま朝、小屋(会場)入り
しかもこういうときって深夜テンションが
無駄に続き、その日の昼過ぎ〜夕方まで割と元気!!
どうして起こる?「深夜テンション」
消耗しています。
脳の奥深い場所にある大脳辺縁系という部分が
本能的な感情を生んでいます。
額辺りにある前頭前皮質という部分が
本能の制御とコントロールをして
そのバランスによって人間の行動や思考が決まっているのです。
コントロールをする側である
前頭前皮質のピークは
なんと午前10時!!!
午後になると機能が落ちてしまうため
深夜には本能側である大脳辺縁系の動きの方が
前面に出てきた結果、
「深夜テンション」
のような状態になるんだそうです。
動物的だったということなんですかね。
いやーー調べると、とても面白いですね。
ゴールデンタイム、「22時〜2時」は嘘??!
多くの睡眠やダイエット、美肌のブログには
「ゴールデンタイム」という言葉が目立ちます。
これは何かといいますと
この時間に根拠はないそうなんです。
守ったことはなかなか無いものの(おい)
これは心の中で信じていただけにびっくり。
質の良い睡眠を取るには日付を跨ぐ前に寝ろ!
「成長ホルモン」
(肌の代謝を上げたりや細胞のメンテナンス、
新陳代謝に重要なホルモン)
こいつだけの話でいうと
「就寝してから3〜4時間」が一番分泌される時間である
ということなのです。
そして!!
質の良い睡眠を取るには
日付を跨ぐ前。つまり、
0時前には就寝した方がいい
ということらしいのです。
この逆算や日本人の平均就寝時間より
出された時間帯が「22時〜2時」ということだったのですね。
なので一概にも「嘘」という断定はできなさそうです。
朝活の著名人に成功者が多い
朝活(朝早起きして活動すること)を
推進している著名人には
成功者が多いとも言われています。
スターバックスCEOのハワード・シュルツさん
こちらも以前の記事に出てきたマイケル・ジョーダンさん
前アメリカ合衆国大統領バラク・オバマさん……
「朝活は自分への投資である」
ということでした。
私は自分のことを
「夜型なので夜の方が集中できるんだ」
なーんて発言でごまかしてきましたが、
フリーランスというものを目指そうとしたとき
朝活が必要になってくるんじゃないかと
感じています。
人間は寝ることによって
かなりの病が治る。
私は「睡眠力」によって
傷とか病気をひそかに治し
今日まで「無病」である。
私は「睡眠力」は「幸福力」
ではないか、と思っている。
ということはあとは
その寝る時間を少し早めに
そして起きる時間を朝早くにずらすだけ!
というところに
夜の仕事も入ってきているので…(笑)
せめて休みの前の日は
「休みの前日だから!」
と夜更かしせずに
無理なく!朝活宣言です!!!
名言をくれた人のちょっとした説明とまめ知識
水木しげるさん(1922〜2015)
日本の漫画家
・大阪の西成郡で次男として生まれる
・大阪生まれだか、母の故郷である鳥取へ
水木さんが生まれて間もなく妻子のみ転居している。
・「大阪は空気が汚れていて乳の飲みが悪い」からという理由だった
★5歳のとき「死」というものに興味を持ち
弟を海に突き落とそうとしたところを近所の人に見つかり叱られたことがある
★幼少時、まかない婦として家に出入りしていた人が
語り聞かせた妖怪の話に強い影響を受ける
・比較的恵まれた家庭環境だったが、成績は良くなく、
体育と図工以外は総崩れだったという。
・マイペースな性格であると自分でも語っており、
学校にも朝寝坊して朝食をゆっくり取り、2二限目から登校していた
・図画の成績は特によく、小学校の教頭の勧めで
授業で描いた絵の展覧会が開かれ、新聞に掲載されたこともあった
・マイペースさから労働には向かず、2度の解雇を経験している
・そんな様子を見た父親が
「もう職探しはやめて絵の勉強を…」と言ったという。
・勉学が苦手なことを考慮し、精華美術学院という
当時としても珍しい無試験の美術専門学校を見つけて入学した
★立派な画家になると思い詰めて一心不乱に独学を重ねてきた自身の方が、
もったいぶって教える先生より技量が上と感じ、学校に行かなくなる
・太平洋戦争が勃発した中、20歳になった水木さんは徴兵検査を受け、
結果は体は頑健ながら近眼により乙種合格で、
補充兵役に編入され現役入隊はしなかった
・しかし戦争が激化。21歳の時、召集令状が届く
★軍内での鉄拳制裁は日常茶飯事で、
特に上官から目を付けられ「ビンタの王様」というあだ名がついていた
・行軍中に風邪を引いた際にマラリアを発症、
高熱で錯乱状態に陥ってジャングルを彷徨い歩き、
危うく行方不明になりそうになる
・さらに療養中、敵機の爆撃で左腕に重傷を負い、
軍医によって麻酔のない状態で左腕切断手術を受けるなど、
再び半死半生の状態に追い込まれた
・1945年「ポツダム宣言受諾」についての訓示を受ける。
★軍内は「戦争に負けた」と落胆の声が広がったが
水木さんは「生き延びた!」と、戦場で死ななかった事に感無量だったという
・応急処置だった左腕の治療のため入院。
病院直営の染物工場で絵付けの仕事で入院中の生活費を稼いでいたが、
雀の涙にしかならなかった。
・復員後の道が定まらない状況を過ごしていたが、
募金旅行で辿り着いた神戸市で滞在した安宿の主人から
「この建物をアパートとして買ってもらえんやろか」と購入を持ちかけられる
★このアパートが水木通にあった事から「水木荘」と名付けられ
のちのペンネームにもなっている
・復員後は貧窮により画家の修行を諦め、
生活のために始めた紙芝居作家を経て上京する。
・娯楽がテレビや漫画へ移行し紙芝居が衰退。漫画への転身を決める
・1960年、『墓場鬼太郎』シリーズの執筆を開始
・紙芝居時代に近い陰鬱な怪奇物に仕上げ、
当初は全く売れず『妖奇伝』も第2号で打ち切りとなった。
★だが打ち切り後に一部の読者から熱心な連載再開を要望する手紙が届き、
倒産間際だった出版社は最後の希望を託して
『墓場鬼太郎』シリーズの刊行を継続。
これが人気作となり、徐々に水木しげるの名が知られていくきっかけとなる。
・貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』や『河童の三平』といった作品が
『週刊少年マガジン』『週刊少年サンデー』に掲載され、
以降、妖怪を扱った作品により人気作家となる
・2015年、自宅で転倒したことにより頭部を強打。
これによる硬膜下血腫のため緊急手術、回復はしたものの
同年11月30日多臓器不全のため死去
・「お別れの会」には親交のあった著名人や一般弔問者など約7800人が参列し、
祝辞は声優の野沢雅子さん、
「ゴルゴ13」の作者・さいとう・たかをさんらが読み上げた
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