【名言】ある程度長く生きていれば、人生で起こることの大半は自分のコントロール外にあるということがわかってくる。しかし、どう向き合うかは自分のコントロール内なのよ【ヒラリー・クリントン】

名言
Michael SiebertによるPixabayからの画像
ある程度長く生きていれば、
人生で起こることの大半は
自分のコントロール外にあるということがわかってくる。
しかし、
どう向き合うかは自分のコントロール内なのよ
ヒラリークリントンさん
I think that if you live long enough,
you realize that so much of what happens in life
is out of your control —
but how you respond to it is in your control.

久しぶりな気もする本日の名言は
ヒラリークリントンさん。

コロナ禍のどんどん進む現代。
今年の初めには全く別の雰囲気だった世界。
そして、
自分にはどうにもできない。という無力感。

いろんなことは
外からの影響を受け変化していく人生の中で
それでも、どう自分の中に落とし込み
進めていくかは自分で選ぶことができる。

ファーストレディを8年勤め上げた女性の
教えてくれる言葉の中には
強さの中に柔軟さが見えます。

徐々に解除する緊急事態宣言

今年の4月7日に発令されていた
緊急事態宣言

気がつけば1ヶ月以上もの間
この生活が続いていたことに。
もうなんだか去年どうしていたのかも
忘れてきています。
人間の順応能力はすごいものです。

そして5月21日
緊急事態宣言が継続していた8都道府県のうち、
(北海道、東京、神奈川、埼玉、千葉、
大阪、京都、兵庫)

大阪、京都、兵庫の近畿3府県について、
宣言の解除を正式に決定。

そして現在(2020/5/25)
残りの都道府県の解除
政府が決定しました。

それに対する個人的な思い。

私個人の勝手な印象としては、

「あれ?とうとう経済やばいってこと?」

という気持ち。

私の住む北海道、
感染者数と呼ばれている数字が
自粛期間中となんら変わらない数字を
叩き出していますが
緊急事態宣言の解除の予感。

そろそろおかしいと思いませんか?

いろんな大人の事情が絡んでいるのは

何も知らない私でもひしひしと感じます。

別にいいんですけれど、
じゃあ、この自粛期間中の努力は
なんだったんでしょうか。

今私がお手伝いしている居酒屋は
もろにコロナショックを受けました。

もう過ぎたことですが
私の元職場も、この宣言のおかげで
早めの閉店。
その分の給料保証は当然無しです。

きっと全世界の人たちが
初めてのことです。
政治家の人も
100年生きているおじいちゃんだって
初めてのことだらけなんだと思います。

それによりいろんなことを試し試し
進めていかなければならないのもわかります。

しかし、間違いは間違いであったと。
偉い人たちはどうして言ってくれないのでしょう。

私には自粛により
大きく数が減った。
とはどうしても思えないのです。

とはいえ、それはそれとして…

と長々書きましたが、
それを私個人の発言でどうこうしよう
という気持ちは無いわけです。

なぜなら

ある程度長く生きていれば、
人生で起こることの大半は
自分のコントロール外にあるということがわかってくる。
しかし、
どう向き合うかは自分のコントロール内なのよ

実際世の中で起きていたり
テレビで放送されるニュースは
私にとって手の届かないものばかりだと思います。

それでもそれらが
生活に関わってくることもあるということは
今回のコロナでとても感じています。

日々ニュースと政治の動向を
1日の夕方にはチェックする癖。
今までそんなことは無かったのですが(笑)

とはいえ、
私はその決定に従う他ありません。
その決定を覆すことなんて
私にはできないわけです。

でも
私がその決定を持ってどう動くかは
自分で決められるのです。

私が衝撃を受けたのは
政治に深く関われそうな
ファーストレディである
ヒラリークリントンさんでさえ
そう思っているということでした。

そうか。大統領の奥さんでさえ
そう言っているってことは
人生、きっとそうなのだな。

と納得できたのです。

名言をくれた人のちょっとした紹介と豆知識

ヒラリー・クリントンさん(1947年〜)

アメリカの政治家、弁護士(ばいwiki

・1947年、シカゴに衣料品店を営む両親のもとに生まれる

・父親は繊維業界の大物。母親は専業主婦であり、

ヒラリーさんは二人の弟がおり、長女である。

・幼少時からスポーツに興味を持ち、

テニスやスケート、バレーボールなどの経験者である。

・1965年にマサチューセッツ州の名門女子大である

ウェルズリー大学に入学

・在学中にワシントンの下院共和党議員総会でインターンを経験、

共和党党大会ではニューヨーク州知事のために働いている。

・1969年、ヒラリーさんは

イェール・ロー・スクール(法科大学院)に進み、

そこでのちに夫となるビル・クリントンさんに出会う

・ビルさんと共にロースクールで教鞭を取ったこともある

★ビルさんがアーカンソー州で下院議員選に出馬するが落選、

翌1975年に彼と結婚している。

・1976年にビルさんがアーカンソー州の司法長官に選出され

州都へ移るのに伴い、アーカンソー大学での職を辞し、法律事務所に移る

・1978年ビルさんが32歳の若さでアーカンソー州知事に当選すると

アーカンソー州のファーストレディとなったが、弁護士としての活動も続けた

・1980年娘のチェルシーを出産

・1992年ビルが大統領に当選すると、ヒラリーさんは翌1993年から8年間、

アメリカ合衆国のファーストレディとなる

★ヒラリーはアメリカでは初の院卒にして

弁護士のファーストレディーであり、

初のキャリアウーマンのファーストレディーとなる

・当時アメリカではヒラリーさんのことを

「最強のファーストレディー」と評していた。

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