【名言】人の世に道は一つということはない。 道は百も千も万もある。【坂本龍馬】

名言
Ervin GjataによるPixabayからの画像
人の世に
道は一つということはない。
道は百も千も万もある。
坂本龍馬
本日の名言は坂本龍馬さん。
日本の幕末を生き抜き、
異端児と言われながら
「土佐に龍馬あり」とまで言わしめた影響力。
自由に生きた男が教えてくれるのは
肩の力を抜く方法なのかもしれません。
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憧れ続けている、一つに絞ること

一つの道を極めている人たちって
本当にかっこいいですよね。

職人さんや芸術家さん
音楽家さんに学者さん。

どんなときにもぶれず
自分の好き、やるべきことを理解し
その道をずーっと走り続けている。

 

人生においての様々な先輩たちの
偉大な言葉を並べて、
その力をお借りして自分のことも話しつつ
いろんなことを言ってきた私ですが

実は私は、一つに絞れた試しがありません

 

小さな頃からいろいろな夢がある方でした。

その中でもミュージカルが好きという気持ちが強く
舞台芸術という世界を選んできた私ですが
今となってはもう、その道からも外れつつあります。

 

良く言えば
どんなことも大体「楽しい!」ということにできてしまう。

悪くいうと
あきっぽい。

 

こんな自分が本当に嫌だった時期もありましたし、
ある人に「羨ましい」ともらしたこともありました。

でもそのときに言われた言葉が
ずっと脳裏を離れないのです。

こっちはそれがうらやましいよ

私は本当に羨ましくて、
その人にもらしたことがあるのです。

 

ずっと一つのことを続けていて
その道を極めようとしている。
そういうことを見つけられていることが

本当に羨ましい。

するとその人は言いました。

 

こっちからするとそっちが羨ましいよ。
楽しめることが多くあるっていうことでしょ?
私にはそれが出来ないから。

 

その人は

「皮肉じゃないよ?本当にそう思うよ」
と優しい笑顔で付け足していました。

 

私は本当に驚きました。
そうか、そういう考え方もあるのか。
と涙が出そうなほど安心したのです。

 

その直後から
そうなんだと切り替えることは難しかったのですが
脳裏から離れなかった
その言葉とその人の顔と場面が出てくるたびに

そうか、もしかしたら
私はこのままで良いのかもしれない。

そう思えたのです。

 

とはいえ10年続いた舞台芸術というもの

そもそも、舞台芸術というものは
総合芸術とも言われており
本当にいろんなことをさせてもらえる機会が多いです。

役者は役者でいろんなことに達者でなくてはなりませんが、
他にも

・照明
・音響
・舞台セット作り
・小道具作り
・広報のためのチラシ作り
・HP作り
・会計などの制作…etc…
私の所属していた団体が
役者もそれらをやる
という団体だったので
本当にたくさんのことを経験させてもらえました。
逆に私にはそういう団体だったからこそ
約10年、続けられたのかもしれません。

好きなことがたくさんある。を生きていく。

そして、そこから派生して
現在、動画やブログで活動していこうと
準備を進めている私たちです。

 

今の私は、相も変わらず
自分の好きなことをひとつには絞れそうにありません。

本当に、なんというか、
どこまでもカッコ悪いよなーーー
と思います(笑)

 

そしてやっぱり

職人さんはかっこいいなーー
と憧れるものですが
なることは諦めました。

 

自分では本当にカッコ悪いと
笑けるものですが、仕方がありません。

こういう人間に生まれて育ってしまった以上
その道を生きていくしかないと最近は思います。

 

そして
そうやって育った背景にはきっと

いろんなことを咎めず
褒めて育ててくれた
大切な人たちの気持ちがあると思うのです。
私はそういう気持ちも大切にしたいのです。

 

人の世に
道は一つということはない。
道は百も千も万もある。
好きなことを探すというのは
楽しくもあり、きつい作業でもあります。
でも結果、楽しいのです。
きっと私たちは年齢とか環境とかに関係なく
なれるものがまだまだあるかもしれない
ということなんだと思います。
職人さんはかっこいいです。
でも
好きなことがたくさんあるかもしれない私には
どんな職人にもなれる可能性がある。

最高にかっこ悪いが、
最高に楽しみな人生だろう!!

 

坂本龍馬さんに自慢したら
大声で笑って褒めてくれるに違いないと思うのです。

 

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名言をくれた人のちょっとした紹介とまめ知識

坂本龍馬さん(1836〜1867)

江戸時代末期の志士(ばいwiki

・土佐藩の郷士(下層に位置した人たちを指す)の坂本家の二男として生まれる

★龍馬が生まれる前、母が(父という説もある)

天に龍が飛ぶ夢を見たことから「龍馬」と名付けられた

★幼少期は気弱だったと言われている。

寝小便がたえなかっとという説もある

・早くに産んだ母を無くし、

その後父の後妻となった伊与の前夫の実家、

川島家が土佐藩の造船所だったということから

長崎や下関の珍しい土産話を聞くため姉と遊びに行っていた

・このことが後の龍馬の人格を形成したとされている

・龍馬が脱藩する際、兄が家族や親戚、友人に龍馬の動きを警戒するよう指示。

龍馬の刀をすべて取り上げてしまったという

★そのとき一番親しかった姉が倉庫に忍び入り

秘蔵の刀「肥前忠広」を龍馬に門出の餞に授けたという逸話もある

・開国論者の勝海舟を斬るために訪れたが

逆に世界情勢と海軍の必要性を説かれ、大いに感服し、

己を恥じてその場で海舟の弟子になったという話が広く知られている

・姉への手紙に勝海舟を「日本第一の人物」と記していた

・龍馬は薩長同盟の成立にあたり、両者を周旋し、

交渉をまとめた立役者とされている

・寺田屋で祝杯をあげていたところ江戸幕府のものより奇襲を受ける

★このとき風呂に入っていた恋人のお龍が

窓外の異常を察知して袷一枚(下着のようなもの)のまま

二階に駆け上がり、二人に知らせたとされている

・このとき龍馬は両手指を切り落とされる大怪我を負う

★龍馬とお龍がその傷の温泉療養旅行をした。

これが日本で最初の新婚旅行とされている

・1867年、京都の近江屋で中岡慎太郎と共に刺客に襲撃され暗殺される

・龍馬の誕生日と命日が同じ日になってしまった

 

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