【番外編】解散決定からの解散宣言解除で思っていること vol.1【雑記】

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Ivana KohoutováによるPixabayからの画像

私が所属する演劇企画運営団体の
解散が3年前に決定していましたが

コロナの影響を受け
解散公演が延期になったこと、
さらに運営していた
居酒屋の援助をいただいたこと、

様々な事が重なり
「解散宣言の解除」
つまり
「解散しない」
という結論に至りました。

詳しくはこちら↓

札幌ハムプロジェクト解散宣言解除の宣言(5/20)。
すがのです。今回のコロナの影響で、ハムプロの解散宣言を解除、つまり「解散しない」ことにしました。これにより、2020年9月に予定していた「解散」を取りやめましてしかるべき節目がくるまでは札幌ハムプロジェクトは通常どおり運営いたします。わざわ

 

それについて思っていたことを
自分の備忘録としても
残しておきたいと思い
カタカタとしていたわけですが…

思っていたよりも長々と書いてしまったため(笑)
2つに記事を分けようと思います。
まずは

解散を決定した頃に
私に起きていたこと、思っていたこと。

というわけで、vol.1です。

解散宣言をされた頃の私の話。

解散宣言がされた3年前。
私はというと、
この団体にはいませんでした。

正しくいうと消えていました。
(今の言葉を使うと
「飛ぶ」ともいうらしい)

・家族とのあれこれ
・自分の将来の考え事
そして
・自分の能力の限界
・周りの期待に応えられないという
プレッシャー

いろんなものと戦おうと思っていた私は
文字通りいろんなものと戦い
そして逃げ出し、負けました。

逃げ出すにも順番があったのですが
それらもすべてをすっ飛ばし
ただただその場から消えたのです。

逃げ出し負けた私に待っていた事。

逃げた私は何をしていたかというと
今までにないほど
ただただ遊んだのです。

ボーリング、カラオケ、ゲーセン、
スポッチャ、ドライブ、バーベキューに酒、、

世の中に溢れている遊びという遊びに
没頭しました。

その頃の私は
とにかく逃げていたのです。

・向き合わなきゃいけなかったこと
・投げ出したかったこと
そしてもうすでに
・投げ出したこと

全部から逃げることに必死でした。

それらの遊び、そして
それに付き合ってくれていた人たちと
一緒にいた時間はよかったんです。
時間はとにかく埋まっていました。

しかし、独りになった時に襲ってくる、
あれ。
言語化することの難しいあの感情。

「虚しさ」と「孤独」と「喪失感」

あのなんとも言えないモヤモヤは
遊びだけでは吹き飛ばせなかったのです。

何より私自身。
活動拠点としていた
運営している居酒屋周辺を
避けて暮らしている。
という異常な状態だったように思います。

団体に戻ってくる前にやったこと

そのモヤモヤと戦っていた頃、
私のすっ飛ばしたお金や物のやり取りのため
うちの団体のボスが
連絡を取ってくれていました。

今考えると本当にストレスのかかる
ことだったと思います。

そのときにボスが私に言った言葉

「別に元に戻さなくてもいい。
ひどいところに絆創膏をすることを
おすすめしているんだ。」

その言葉に後押しされ

 

最後の最後のお金の受け渡しの時
私は

直接謝りに行こう

決心したのでした。

その時のことは今でも覚えています。
本当に本当に怖かった。

でも当時
そばにいてくれた人たちのおかげもあり

ボロボロになっても
帰ってきていい場所がある。

恐怖を振り切った覚えがあります。

 

そして結果私は
ボロボロに泣きながら
謝っていたわけですが(笑)
そんな私を笑ってくれるメンバーの
心の広さにも助けられていたわけです。

私はつくづく
周りの人たちに助けられ、
本当に恵まれていました。

そして解散宣言後の復帰。

その後、ボスとの連絡を重ねていくうちに

再演する演目に出てほしい

という話になったことを覚えています。

 

そのチラシの名前に
私の名前が無所属で書かれるのは
なんとも複雑だろう。と(笑)

そんな話から「復帰」の話が
出ていたように思います。

メンバーは札幌にも東京にも
そして沖縄にもいます。
一斉メールにて

「戻らせてもらうことになりました」

みたいな短い文章を送ったように思います。

 

スタバの駐車場での出来事でした(笑)

あるメンバーからは

「おかえり」

との返事ももらいました。

 

そこから徐々に。裏方から。
まずは運営する居酒屋さんの
二階の天井作りというお仕事から
復帰しました。

そして、「ダンボールシアター 」
という団体ができたわけですが…
これはまた別記事にて詳しく書けたらと思います。

解散宣言解除の前に考えていたこと。

そんなこんなで復帰した私でしたが
復帰した時には2年後解散
ということが決まっている中での活動でした。

しかし、この解散が前向きなことである
ということは伝えられていましたし

ダンボールシアターを広めていく

という新しい目標もでき始めていたため
本当に今までと変わりなく
コツコツと毎日を過ごしておりました。

そしていよいよ
解散公演の予定が詰められてきました。

札幌公演と東京公演の日程も
キャストも決まり、
台本も上がってきて稽古も開始。

チケットの予約と同時に
すでにお客さんから

「寂しいですが楽しみにしています」

とのお声も聞こえてきて、

なんとなーーーく
私自身にも「解散」の実感
湧き始めてきた頃

新型コロナウィルスが世に出始めたのです。

はじめは

世界のどこかで
そういうものが出回っているらしい。
それが観光客により日本にも
徐々に入ってきているらしい。

という感じでした。

今年の解散公演の日程を始め、
主催の演劇祭の日程や参加団体、
ダンボールシアターの全国公演も
決まり始めていましたが

それどころでは無い世界に
なり始めていること
私たちは毎日毎日感じていました。

流れてくる情報の波に
揉まれながら
演劇だけでなく
居酒屋という飲食業への打撃も感じていました。

2011年の3月11日、
東日本大震災のときにも感じたこの感じ…

世の中が非常事態になったときに一旦感じる
芸術と分類されているものの無力感。

私たちは何より
生活を支えてくれていた
お店の維持に全力を注ぐ体制に
シフトしていたのでした。

【雑記の雑記】つづきはvol.2にて…

こんなにも赤裸々に長々、
あの頃のことを書いたのは初めてで
なんだかそわそわしています(笑)

人間の脳ってのはすごいもので
一瞬、なんだったかということを
あの頃の気持ちと共に
思い出してしまうようで。

自分のしでかしたことを並べ、

あーあの頃はそういえば
なんだか心がいつでも
そわそわしていたのだなぁ

ということを感じています。

そして現在、
皆さんのご支援とお気持ちのおかげで
居酒屋もギリギリ立てている
という感じですが。

維持にシフトチェンジしていた頃のことも
怒濤すぎてあやふやになっていきてるのを
感じています。

こうやっていろんなことは過去になって
あやふやになっていってしまうのか

と思うと

せめて、

大事な気持ちの部分や
戒めや反省や
感謝や喜び
覚えていられなくとも思い出せるように
残しておくことも大切なのかなと
雑記をバサバサ並べつつ思うわけです。

ということで、
また、vol.2へ続きたいと思います。

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